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日本人が「歩く」ようになったのは、いつの時代からだろうか。
もちろんここでいう「歩く」という行動は、わが家から仕事場まで出かけることや、夕食の買い物に出かけることではなく、非日常的な「旅」に出かけるという意味でのハナシだ。
日本史の時間に「入り鉄砲と出女」などというキーワードを習ったが、要するに江戸時代、ことに女性たちには、お伊勢参りなどの例外を除いて、勝手な旅行は厳しく管理されていた。
日常生活のテリトリーを出て「旅」に行くというのは、かなりの心構えを要求されることだったのだ。
そんな旅の装束は、決まってワラジ掛けだ。
昔から「ワラジ銭」が「わずかの旅費、少額の餞別」を意味するように、ワラジは決して高級なものではなく、あくまでも使用して消耗することを前提とする、純粋な「歩く」ための道具だった。
だが慣用句に残るそんなイメージにもかかわらず、ひとたび「ワラジを履く」といえば、それは身支度としての準備だけでなく、心のうちの「覚悟」をも意味することになる。
つま先からのびる長い緒で足に結わえ付け、その緒でかかとから足首を巻き上げて固定するワラジの機能は、足指を自由に利かせながらかかとをぴたりとフィットさせる効果で、裸足の感覚のままに足裏を保護し、大地をつかむことができる。
が、それだけにこのワラジというヤツは、脱ぎ履きに手間のかかる面倒な履きものだ。ちょいと近所までつっかけて、というわけにはいかない。
基本的に道中の食事や休憩は、座敷には上がらずに土足ですませる。旅の宿に泊まるなら、上がりかまちに腰を下ろして緒をほどき、足袋まで脱がなければ足をすすぐこともできない。

一般的に釣り針の先端の内側に逆向きにつけたとがった突起。あご。
かかり。あぐ。ワラジではシッカリ足が抜けないようにするための要所。
履物につけて、足にかけるヒモ。
緒には物事の初め、いとぐちという意味もあり、ワラジの場合にも納得がいくはず。
一般的に旗・幕・羽織・ワラジなどの縁に、竿・ヒモなどを通すためにつけた小さな輪。みみ。
語源は、もちろん、その飛び出した形状から。
物をのせるためのひらたいもの。また、人がのるために使うもの。
日本中の大地を知っている。この部分がヤワだとワラジの機能も台無し。
ところが、ここで足をすすいだからといって、旅のワラジを脱いだことにはならないのが面白い。
ワラジを脱ぐという表現は、旅の終わりか、旅の途中でいったん身を落ち着けるときにしか使われないのだ。
実際には緒を解いていても、覚悟のほどは旅の途中。決して気を緩めてはいけない、という古人の知恵がそこにある。心のワラジは履いたままなのだ。
いま、ワラジを履いての「旅」といえば、お遍路姿で四国巡礼をすぐに想起する。
白装束にすげがさ、つえという巡礼衣装に身を包み、その足元が、白いワラジ足袋の上にワラジ掛けという伝統のスタイルが、21世紀の日本でも一般的だ。
もちろん、中には作りのしっかりとしたウォーキングシューズを選ぶお遍路さんもいるが、しかし、心に決めた旅。
ワラジを履いての「旅」という意識は誰の心にも強い意思として刻まれているはずだ。心のワラジは履いたままなのだから。
日本人の主食は米。その副産物である「わら」を使い、手先の器用な日本人はワラジを生んだ。
刈り取った稲わらを乾燥させ貯え、農閑期の冬、翌年に自分が使う分だけのワラジを作ったといわれる。
わらを編み、結び、自分のための自分に合ったワラジを作る、その行為は翌年も農作業を快適に行なうことの祈りが込められていた。
ワラジが奉られていることが珍しくないことでも、豊作の願いをワラジに込めていたことが理解できる。

この記事はアシックスウォーキング情報誌『万歩百景』掲載用に取材及び編集したものです。
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